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大好きなアドラー心理学をあえて批判してみた!劇薬に副作用も?

      2017/04/11

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アドラー心理学の勢いには凄いものがあります。テレビや雑誌で特集が組まれたり、本屋さんには特設コーナーで多くの本が山積みされています。代表的著作である「嫌われる勇気」は100万部を超えるベストセラーになっています。これほど支持されるのは、アドラー心理学に多くの人が共感できるからでしょう。

また、その理論がこれまでの常識をくつがえすコペルニクス的転換であることにも魅力を感じてしましいます。あらゆる理論や学説の中には、覆されて発展していったものもあり、過去の理論を否定して新しい理論が誕生するのはある意味仕方がないことです。しかし、学者だけでなく一般の人も、学説を鵜呑みにしないであえて疑ってみることでより理解が深まり真実に近づくことが出来るのではないしょうか。

そこであえてアドラー心理学の批判者の立場に立って、アドラー心理学を批判してみることにしました。しかし、その前に、なぜ今アドラー心理学なのかその理由から探っていきましょう。

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なぜ今、アドラー心理学がこれほど支持されるのか

アドラーは、フロイトとユングとともに心理学の3台巨頭と言われる心理学者です。活躍した時代もフロイト、ユングと同時代に活躍していて3人とも面識があります。しかし、その思想が2人とは真逆であったために、あまり仲良くなかったようです。

フロイトとユングは、心理学者としてあまりに有名なので、ほとんどの人は名前を聞いたことあると思いますが、アドラーは知らない人も多いと思います。しかし、最近のアドラーブームでかなりメジャーになりましたね。アドラーが今、これほど世界で支持されるのは明らかに時代背景の影響があります。

先が見えなくて混迷する社会で人々はテロにおびえ、貧困に苦しみ格差社会に不満を持ち、不安を抱えて多くの人は自信を失っています。そんな中で、アドラー心理学には人々に勇気を与える力があります。それはまるで「 人々よ 過去に囚われるな! 正しい目標もってそれに沿って、今を生きてけば必ず成功するだろう 」と励ましてくれるようです。

アドラー心理学は「 目的をもって、行動しろ! 今こそ立ち上がるんだ!」と今、苦しみを抱える人たちの背中を押してくれます。この力強い言葉に多くの人が光を見出しているのでしょう。

アドラー心理学を批判者の立場で批判してみる

さて、私は熱狂的なアドラー支持者(アドリアン)ですが、世の中に完璧な理論なんて存在しないという立場です。ニュートン力学で説明できないことを説明できたアインシュタインの相対性理論でさえ全てを説明することは出来なかった(物理の4つの力を説明できない)。そういう厳しい目で見れば、アドラーの心理学も完璧でないはずです。そこでアドラー心理学の疑問を批判者の立場で批判してみました。

まずは決定論と目的論の違いについて

アドラー心理学がこれまでの心理学と決定的に違うのは、「 目的論 」という考え方です。それまでフロイトが提唱した「決定論」が主流でしたが、それに異を唱えたのがアドラーの目的論なのです。ここで、決定論と目的論について簡単に説明しますね。

  • 決定論: 人間のあらゆる感情や行動は過去が原因になっている
  • 目的論: 人間のあらゆる感情や行動は目的を達成するために生み出される

まずフロイトの決定論では全ての感情や行動は過去の体験や記憶に原因があるというスタンスです。具体的に言うと、「 今、引きこもりになっているのは、学校のでのいじめが原因。」あるいは「 戦争体験のトラウママが私の病気の原因である」と。しかし、アドラーの目的論は、原因を完全に無視します。

そのうえで感情や行動は、その人の持つ目標を達成するために生み出されるものと説明します。しかし、引きこもっている人は目標をもって行動を起こしているとは思えませんよね。でもアドラーはこの疑問に対してこう答えます。それは外に出たくないという目標に従って引きこもりをしていると。どうですか決定論と目的論、お互い譲りませんね。フロイトとアドラーの不仲説が納得できますね。

アドラーのトラウマは存在しないって本当?

アドラーの目的論ではトラウマの存在をバッサリ気持ちいいくらい否定します。しかし、トラウマ(心的外傷)が存在しないなんてあり得るのでしょうか。PTSD(心的外傷後ストレス障害)いわゆるトラウマに悩む人は大勢いて社会問題にもなっています。初期は戦争体験によるPTSDが注目されましたが、最近ではいじめによるPTSDも広く知られています。

患者さんは常に頭の中を支配している過去のトラウマの記憶に苦しんでいます。この人たちにアドラーは「 トラウマなどはない。 ただ外に出たくないだけだろう」と言えるのでしょうか。これはやはり極論でしょう。現実にトラウマの治療として過去の原因となる記憶を認識させて、それを受け入れることにより回復している患者さんもいるわけですから。

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私の考える結論: 決定論と目的論は共存できる

アドラーの目的論では、ベクトルが全く逆であるトラウマを少しでも容認することは出来ません。もし容認したらその途端に目的論そのものも崩壊してしまいます。なぜなら過去に原因はないと言及しているのですから。アドラーの真意は分かりませんが、そこにこだわるしかなかったのではないかと思うのです。しかし、もし、フロイトのトラウマが存在したら、アドラーの目的論はほんとうに意味がなくなってしまうのでしょうか。

いや、いや、待てよ! もしかしたら両方正しいのでは? ここで思い出したのが漢方の処方です。漢方では患者さんの状態をよく見ます、そして体力のない人、気力のない人を「 虚証 」といい、体力のある人、気力の充実している人を「 実証 」と言います。そして、この虚証と実証の人とでは、全く同じ病気であっても薬の処方が違ってきます。

西洋薬ではこのような分け方はありません。そしてもし、虚証の人が実証の人の薬を誤って飲んだ場合には劇薬となって、様態を悪化させてしまう可能性があります。漢方はそれほど、体と心の状態を見極めるのです。もうお分かりでしょうか?「決定論」と「目的論」を薬に置き換えるとどうでしょう。

虚証の人には「決定論」、実証の人には「目的論」というように住みわけができます。アドラーの目的論は原因を過去に求めないので、全ての責任を自分が引き受ける必要がります。これは本人にとって大きな精神的負担になりますが、未来を自分の行動で切り開けるという励みになります。

しかし、この厳しさに耐えるにはある程度の精神的な体力が必要になります。つまり処方は漢方でいうところの実証の人です。精神的気力の薄い虚証の人はアドラーの目的論では劇薬すぎるので、責任を過去に求める決定論とするのです。ずいぶんと長い説明になってしまいましたが、結局、私がいきついたのは「 決定論と目的論はそれぞれ正しく、精神的な許容度に応じて使われるべきである」という結論でした。

 

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 - アドラー心理学