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『死ぬのが怖い!』タナトフォビア(死の恐怖)を克服する考え方

      2017/07/01

世の中には色々と怖いものは存在しますが、その中で人類共通の最大の恐怖、そして誰一人として逃れられない恐怖、それが「死の恐怖」です。 誰もがとてつもなく理解し難いこの最強の恐怖を心の底で怯えながら、なるべく考えないようにして生きています。

しかし、突然の友人や家族の死によって、影を潜めていたこの死の恐怖は私たちに襲いかかります。私たちはこの恐ろしい死神が操る死の恐怖から逃れて心平和に暮らすことは出来ないのでしょうか?今回はこの難題である「死の恐怖の克服」について考えていきます。

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タナトフォビア(死恐怖症)に苦しむ人々

冒頭でも記述したように誰でも潜在的に死への恐怖は持っています。しかし、生きることに必死の時は、あまり死のことを考えることなく生活しています。

でもある時に死に関係する書物を読んだり、近親者との死別があったことなどをきっかけにして、死への恐怖がとてつもなく大きくのしかかってしまうことがあります。人によっては恐怖症の一種であるタナトフォビア(死恐怖症)になってしまうこともあります。

そうなると死への恐怖で動機や過呼吸、パニック障害に陥ることもあります。これらの症状は、人が潜在的に死の恐怖を持っている以上、いつ誰がなっても不思議ではありません。

人はなぜ、死をそこまで怖がるのか?

人はなぜ、死をそこまで怖がるのでしょうか? その大きな理由が死そのものが謎でり理解しがたい事実で、死んだら全てが終わってしまうという恐怖です。この世から自分がなくなるという恐怖は自我にとってはありえない恐怖なのです。

死の概念があるのは人間だけ?

生きとし生けるものは必ず死を迎えます。そして生き抜くためには死を招くようなことは避けなければならないために、全ての生物は本能的には死を認識していて、それを避ける行動を無意識にとります。

たとえばライオンの気配を感じたシカは、一目散に逃げるでしょう。これは本能的な恐怖によるものです。そして身の危険がなくなれば何事もなかったかのような顔で草を食べるでしょう。

しかし、シカは自分に寿命があり、世をはかなんで自殺するなんてことは絶対にありません。死を概念として捉えるには発達した大脳皮質による高い知性と想像力がなければ不可能です。

自殺は高度な死の概念と思考能力がなければできない行為です。現にこれまで人間以外で自殺したという動物の報告はありません。つまり、死の概念が持てるのは十分に知能の発達している人間の特権でもあるのです。

結果として動物は、身の危険を感じない限り死の恐怖は感じませんが、死の概念を持つ人間は、いついかなる状況であってもその卓越した想像力で死の恐怖を感じてしまうのです。人間は辛いですね。

死は避けられない、永遠に存在するものなどない

人間にとって死は避けられない事であって、ある意味で神聖であり自然の摂理でもあります。いわば生と死はセットであり、あらゆる生命には誕生があり死があるのです。

それは生命だけではありません、全ての物質、惑星や恒星、銀河にいたるまで誕生と壊滅を繰り返しているのです。つまり世の中には永遠に存在するものないのです。ここで有名な平家物語の冒頭部分を引用しておきましょう。

祇園精舎の鐘の声

諸行無常の響きあり
ーー 平家物語(冒頭部分)ーー

直訳)
お釈迦さまのお寺(祇園精舎)の鐘の音は、「永久不変なものはない」と諭しているように聞こえる

意味)
平家の没落を言い表したもので、『形あるものは必ず壊れる』、この世で永遠に続くものなどないという意味です。生命が生死を繰り返して子孫に受け継がれていくのは、宇宙の法則です。人間以外の動物は本能でそのすべてを受け容れて生きているので悩むことはありません。

しかし、人間は地球生命史上、類を見ない脳の発達や言語の獲得によって、『死の概念』を身に着けてしまいました。それは死の十字架を背負って、死へのカウントダウンを聞きながら生きるようなものです。

死の概念がある私たちが、私たちが死の恐怖から解放されるには、死に対して逃げることをやめて、死に対して向き合って、自分の死生観(死ぬこと生きることについての考え方)を確立しておくことが必要です。死生観を確立していれば、将来かならず来るであろう自分の死が近づいても、動揺することなく心穏やかに受け入れることができるでしょう。

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死生観を確立することで、死の恐怖を克服する

人間がその高い思考力と想像力で獲得してしまった死の恐怖は、同様にその高い思考力と想像力で克服する以外にないと思います。つまり、死に対する考え方である自分の死生観を確立することです。そこでまずは、現在考えられている死生観を宗教や哲学から見ていきましょう。

1.仏教から見る死生観

仏教の死生観は、とても有名なあの『輪廻転生』です。

<輪廻転生とは
全ての生きとし生けるものは、生と死を永遠に繰り返す。
死んだら終わりではなく、また次の生へと移っていく。
この生と死のサイクルから生命は逃れることは出来ない。

説明)
輪廻転生は、簡単に言うと人間は死んだら終わりではないということです。肉体は滅んでも魂には永続性があり、次の生まれ変わりに移っていくという考え方です。つまり、前世、今世、来世が実在するという考え方です。

2.キリスト教から見る死生観

キリスト教での死生観は、イエスキリストを信じて正しい行いをしていけば死後は天国に行けるというものです。そして残念ながらそれ以外の人は地獄に落ちます。死んでも終わりではありませんが、輪廻転生はありません。

3.死んだら終わりの死生観

人間、死んだら終わり、魂も肉体の死とともに無になるという考え方です。これがいちばん一般的な考え方ですよね。宗教やスピリチュアルなことに懐疑的な人に多いのではないでしょうか。

この考えの人には、自分の目で確認できないものは信じない傾向にあります。非常に合理的な考え方です。しかし、残念ながら「死の恐怖」に怯えてしまう人たちはこの考え方の人たちなのです。なぜなら、死んだら自分はなくなるという恐怖こそが死の恐怖なのですから。

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死の恐怖は死後の世界を信じるか、信じないかで決まる

人間の死に対する根本的な恐れは、死んだら自分がなくなってしまうという恐怖です。ですから輪廻転生や死後の世界を信じている人にとっては、死の恐怖は全くないか、あっても深刻な恐怖ではなくなっています。

死後の世界を信じる人は、半数にも上る

なんと、死後の世界を信じる人は、半数にも上っています。死後の世界を信じない人の方が圧倒的に多いと思っていたのでびっくりです。きっと近年のスピリチュアルブームが影響しているのかもしれません。

アンケート参考
質問:あなたは死後の存在を信じますか?
大学生
信じる :44%
信じない:56%

社会人
信じる :55%
信じない:45%

死後の世界を信じる人が昔に比べて増えている

死後の世界を信じる人が、昔に比べて増加傾向にあるようです。それは、心理学や科学の発達で、人間には認識できない見えない世界が存在することが理論的にも実証的にも証明されつつあるからだと思います。

例えば、最新の物理学では宇宙を構成する物質は、これまで考えられていた陽子や中性子などの見える物質の割合は、宇宙全体の5%に過ぎず、残りの95%は私たちには目に見えない観測できない未知の物質である暗黒物質や暗黒エネルギーで満たされているということです。

しかも、観測により暗黒物質の存在を示す証拠もあがっているそうです。このような背景もあって、見えないものが宇宙には存在するということが認識されるようになったからかも知れません。

筆者の幽体離脱体験

筆者は、実は死後の世界も輪廻転生も信じています。もともとスピリチュアルな世界が好きだったので、世の中には人間の五感では認識できない世界があることを抵抗なく受け入れていました。

しかし、絶対の確信に至ったのは、ある体験をしてからです。その体験とは幽体離脱です。それは突然起こりました。その日は少しけだるかったので、いつもより早めにベッドに入りました。

ベッドに入り目をつむって、少し時間がたったころ頭がフワフワした感じになりました。そしてどういうわけか、その時に肉体と魂が分離されているような感覚に襲われました。

私はもしやと思って、私は自分の体から抜け出そうと試みました。するとどうでしょう。私はスッと自分の中から抜け出して、天井近くまで浮いていました。下方をみると寝ている自分の肉体が見えました。そして、隣のベッドに目をやると妻がいつもの寝顔で寝ていることが確認できました。この時に私は幽体離脱していることを確信しました。

私はその時にいたって冷静でした。こんな体験は二度と起こらないのではと思った私は色々試してみることにしました。天井付近を漂っていた私は、思いきって家の外に出るイメージをしました。すると、私は天井と屋根をすり抜けて、家の屋根の上の上空に移動していました。

夜なのであたりは暗かったのですが、街灯の光や夜空に浮かぶ月がはっきり見ることができました。そして、なんと私は5Kmくらい飛行してから、家のベッドのもとの肉体に戻ったのです。肉体に戻る時は、体の中に魂が入る感覚がリアルだったことを覚えています。

筆者はこの幽体離脱体験を通して、肉体と魂は別の存在であることを自覚するに至りました。そして肉体が死んでも魂は存続するということを確信しました。そしてこの時から私の中から死に対する恐怖が消えていきました。

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輪廻転生や死後の世界があることを信じて「死の恐怖」を克服しよう

輪廻転生や死後の世界を信じることができれば、死の恐怖から解放されます。それは死の恐怖が人間は死んだら終わりという概念から発生しているからです。しかし、そう簡単には死後の世界を信じる事は難しいと感じる人もたくさんいるでしょう。そこで次のような思考実験をしてみましょう。

まず、現状では死後の世界を確実に証明するには、死んだ人に聞いてみるしかありません。しかし、死んでしまえばもうもとの肉体には戻れないので、そのことを生きている人間に知らせることはできません。

でも、その一方で死後の世界がないという証明もできません。しかし、科学や物理の発展によって、目に見えない世界があることは推測できるようになってきています。そして目に見えない世界があるのなら、死後の世界があっても不思議ではありません。こような推論により、まずは死後の世界を信じてしまいましょう。

なぜなら、その方が断然お得だからです。死への恐怖がなくなれば私たちは、とてつもない大きなストレスから解放されることになります。そのことによって、生きることへのパフォーマンスが断然向上します。

そして不安のない人生を全うできるでしょう。死生観の違いは生き方の違いになるのです。輪廻転生や死後の世界を信じて、死へのカウントダウンの恐怖を乗り越えましょう。

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 - ストレス解消, 幸福論, 心理学etc, 自分を知る