ブッダが教える!毎日心穏やかに生きるための5つの方法【ブッダの真理】
毎日が辛い苦しいと感じて生きている人もいれば、 日々、明るく楽しく生きている人もいます。 一般的にみれば、この差はその人の性格や環境によるものだと判断しますが、ブッダは、その人の積み重ねてきた業によるものだと判断します。
業とは簡単に言えば、その人の過去に積み重ねてきた「想いや行動」ということです。今回は人間の持つ業を視点に、心穏やかに生きていくための5つの方法を紹介します。
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目次
人は「身口意の三業」に縛られる
人間は常に物事を認識してから様々な想いや行動を起こします。この想いや行動のことを仏教では「業」と呼んでいます。 業はサンスクリット語でカルマのことです。そして業は身口意(しんくい)の三つに分類されます。
身業・・・・・たちや振る舞い、体で行うもの。
苦業・・・・・人が発する言葉のこと。
意業・・・・・人の想いや思考のこと。
人間は認識に基づく想いと行動の積み重ねで自分自身を作り上げでいきます。悪い想いや思考で行動し続ければその人は悪人になり、良い思いや思考で行動すればその人は善人になります。
これが業がなせる技です。「思考が現実を作る」という言葉をよく聞きますが、まさにこれが仏教でいう人間の業のことです。 業やカルマという言葉を聞くと、とても重い鎖を引きずるような気持ちになりますが、決してそんなことはありません。
なぜならば、悪業によって不幸になっている現実があっても、今から善業を積み重ねればいつでも挽回のチャンスがあるからです。つまり、敗者復活がいつでも用意されているのです 。
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ブッダが教える毎日心穏やかに生きるための5つの方法
さて、ここからは人間の業に基づいて毎日を心豊かに生きるための5つの方法を紹介していきます。
無駄に反応しない
怒りや嫉妬、憎しみなどの悪業の根源になる想いは、自分の心に借金を蓄積されるような ものです。 この借金を増やさない、さらに減らしていくにはネガティブな事柄に対して反応しない習慣をつけることです。
例えば、後楽に出て長い大渋滞に出会ったとします。この時、人によって反応は変わってきます。 ある人はイライライを募らせて家族に八つ当たりをするかもしれません。
一方では、長い渋滞でも全く心乱れることもなく、その間を利用して家族との会話を楽しむ人もいるでしょう。 たったこれだけでも前者は悪業を蓄積して、後者は善業を蓄積することになるのです。
ネガティブな事柄には無駄に反応しない。 これが心穏やかに生きる 秘訣です 。
思い込みに囚われない
社会全体でも個人の単位であっても、誤った固定観念というものが あります。
例えば
貧乏だから負け組である。
容姿淡麗だからもうそれだけで勝ち組である。
癒せなければ自分は人から認められない。
などです。これらは全て誤った思い込みです。しかし残念ながら人間の幸福はこの思い込みによって支配されているのです。「想いは現実を作る」とはよく言ったもので、人間の幸せはその人の想い心の持ちように寄り添うのです。
ですから否定的な思い込みに囚われないようにすることです。 囚われそうになった時は、目の前のやるべきことに集中しましょう。とにかく1つのことに集中することです。
すると心が穏やかに安定して、
ときっと馬鹿らしく思うことでしょう。
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怒らないこと、うぬぼれないこと
自分に自信があるのは良いのですが、現実と合わないあまりに高すぎる自己評価は人生をつまらなくしてしまいます。 そのような人は軽くネタをふられたり、ちょっとした冗談を言われただけなのに無性に 腹が立って周りから引かれることになります。
また、ほんの少し低い評価をくだされただけでも、「自分はこんなにできるのに、何故なんだ!」と強い怒りがこみ上げてきます。 これは仏教で言う慢心や、うぬぼれのことです。
うぬぼれないこと、
謙虚になること。
これが心や穏やかに生きる 方法です 。
欲張りすぎない
現代はSNSで自らの情報を発信す時代です。 特にツイッターやインスタグラムなどは、なくてはならないコミュニケーション手段になっています。
しかし、「インスタ映え」なる言葉が流行し、身の丈に合わないブランド品や衣服などを借金までして購入して、インスタに投稿するという社会的な問題まで発生しています。
見栄を張りたいという過剰な欲望は身を滅ぼしかねません。 他人の評価や価値基準で自分の幸せを決めるのではなく、自分自身の価値基準で幸福の基準を考えれば、過剰な欲望に悩まされることもなくなるでしょう。
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相手を責めない
仕事上で同僚のミスで大きな損失が起きたりすると、人は腹が立って相手を責めたくなるものです。 しかし、相手を責める気持ちは自分の心をかき乱す原因でもあります。
もちろん、責任の所在をはっきりすることは必要なことです。しかし、罪を憎んで人を憎まずです。その人の人格を思いやることが大切です。
相手の間違いを指摘するのは必要なことですが、相手の人格を責めてはいけません。 必要以上に責めるという行為をなくせば、 心に怒りの炎が灯る事はありません。
最期にひと言
業で注意することは、目に見える言動だけでなく、人に分からなように心の中で悪い想いを巡らすだけで悪業を積むということです。
人が見ていようが見てなかろうが、心の中を綺麗にしておくが大切なんですね。
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