結果よりも過程が大事だ!【叶うはよし、叶いたがるはあしし】名言
結果とそれまでの努力の過程、いったいどちらが大切なんでしょう。この論争はしばし世間では行われています。しかし、なかなか結論は出ません。
それはその人の立場や環境で考え方が違ってくるからだと思います。しかし、私は立場を超えた心理学な見地からみれば、それは絶対的に『過程』の方が大事だと思うのです。今回はその理由を記事にしました。
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叶うはよし、叶いたがるは悪しし_千利休
叶いたがるはあしし
-- 千利休:南坊宗啓「南方録」覚書より。 --
真摯に正しく努力をした結果として目標や夢が自然に叶うのは良いが、とにかく結果ばかりを求めて、努力の経過を疎かにするのは良くないという意味ですね。
結果が全てと考えるか、それとも努力の経過こそが大事で結果はそのご褒美程度と考えるか、あなたはどっち派でしょうか。
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結果派と過程派の立ち位置と考え方の違い
結果派と過程派の考え方の違いは、どの立ち位置に自分がいるかによって違って来るでしょう。例えば職業によって絶対的に違ってきます。例えばビジネスマンは、どうみても結果派でしょう。営業マンや商売をする人は売上が上がらなければ評価はできません。
営業マンが上司に結果よりも、努力を評価して欲しいといったら、怒鳴られるのが落ちです。店舗経営している人が、どんなに努力しても売上が上がらなければ店を閉めるしかありません。
利潤追求が目標である産業は結果が全てなんですね。アスリートの世界もそうです。プロ野球選手は、結果がでなければすぐに戦力外通告を受けて解雇です。
オリンピック選手も同じですね。オリンピック選手として国の代表になるような人は皆、血のにじむような練習をしてきているはずです。
そして、多くの選手が金メダルに固執します。 まるでそれ以外は無意味とでも言っているようにさえ思えます。金メダル候補の選手が銀メダルで敗北者のように意気消沈している姿をテレビに映ると複雑な気持ちになります。
企業もアスリートも競争社会で生きています。競争社会では色んな意味でナンバー1が圧倒的な利益を享受できます。だから結果が全てと考えるのは必然かも知れません。
ならば利潤追求や競争原理が比較的少ない職業ではどうでしょう。 いわゆる聖職者とそれに順ずると言われる職業です。僧侶や神父や牧師のように宗教上の聖職者と言われる人や、教師のような人たちです。
聖職についている人は、人を導くことが目標で利潤追求や競争原理からは基本的には離れているので、結果よりも過程が大事であると話すはずです。
例えば一生懸命勉強したにもかかわらず、受験に失敗した生徒に対して、教師が生徒に対して、
こんなこと言われたら絶対、その生徒はぐれますよね。
普通は次のような言葉を期待するはずです。
絶対こうですよね。ちょっとテレビドラマに影響されすぎかもしれませんが。
このようにその人の立ち位置で、結果派か過程派かはかなり影響をうけると思うのです。
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やっぱり過程が大事!心理学者マズローの欲求5段階説から考察
職業や社会的地位によって影響されない本来の人間のもっている欲求から推察していくと真実が見えてきます。心理学者マズローが考えた欲求5段階説からこの問題を考察してみたいと思います。まずマズローの欲求5段階説から説明します。
マズローは人間の欲求は、低次から高次に向けての5段階の階層に分けられるとしています。
①生理的欲求
②安全の欲求
③所属と愛の欲求(社会的)
④承認の欲求(尊厳)
⑤自己実現の欲求
低次の生理的欲求から始まって段階を追って進んで、最終的に高次の自己実現に向かって成長していこうとするのが人間であるという理論です。(自己実現理論)
結果が全てと考えるのはその裏に社会的地位を獲得したい、他人に認めらたいという欲求があるのではないでしょうか。なぜなら社会や他人は結果を出した人しか認めないからです。
このことから考えると『結果が全て』と考える人は、マズローの欲求5段階説の③~④段階という事になります。それでは『過程が全て』と考える人は何段階に当たるのでしょう。過程を重んじる人は、結果よりも自己成長すること自体に重きを置いています。これは完全に自己実現の欲求です。
つまり、マズローの欲求5段階説の⑤段階に当たるのです。整理してみましょう。
過程派=マズローの欲求5段階説の⑤段階
という事になります。つまり、過程派の方が心理学的に見た場合には、人間のより高次な欲求に対応しているという事になるのです。あくまでの私見ですが、このような理由によって、筆者は、結果よりも努力の過程を重んじる生き方をお勧めする次第です。
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