仏教ではいい加減な人こそが幸福になる!【幸せの方程式】
2017/04/11
「いい加減な人」と言うと一般的には良いイメージを持ちません。思い浮かぶのは「無責任で投げやりでおざなりな人」です。こんな人が幸せになれるとは到底思えませんよね。
しかし、この語源の本来の意味から追ってみると全く異なる意味になります。そもそも「いい加減」という言葉は仏教用語です。そして仏教からするとこの「いい加減」な生き方こそが幸せになる生き方の真髄となるのです。
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仏教でいう『いい加減な人』とは中道ということ
「いい加減」という言葉の意味は、世間一般の認識とは全く異なるものです。仏教では簡単に言うと「ほどほどに」という意味になります。
これは仏教哲学の核となる理論である「中道」という考え方を意味します。つまり仏教でいういい加減な人というのは、「中道の考え方で生きる人」ということになります。
中道はブッダの悟りへの修行の中で体得した!
中道とは、ブッダ(お釈迦さま)が悟りに至るまでの6年間で修行の中で体得した仏教の核となる考え方です。ブッダが出家して悟りを目的に修行を始めた時は、当時の主流である苦行の修行にのめり込んでいました。苦行とは体を徹底的に痛みつけていく修行方法で、涅槃への唯一の道だと思われていました。
しかし、死の直前に至るほどの極めて厳しい修行をしても、悟りに至ることはできませんでした。そこで苦行をやめ、苦行で疲れた体を休めていると、そこえ駆けつけた女性スジャータが乳粥を施すことで元気を取り戻します。
その後、体力を回復したブッダは、菩提樹の樹の下で瞑想をはじめ悟りを開きました。そこでブッダは、体を苛め抜く苦行と欲望に溺れる快楽主義の両方を否定して、真実はどちらにも偏らない中道にあると悟ったのです。
ブッダの言う中道とは!
ブッダは、苦行でも快楽主義でもない中道を生きることが、悟りへの道であると説いています。これは偏った心はいけない、両極端になってはいけないということです。この生き方を仏教徒の為に示したのが「八正道」です。
1.正見:しょうけん 【正しい見解、世界観、人生感】
2.正思:しょうし 【正しい思考、意欲】
3.正語:しょうご 【正しい言葉】
4.正業:しょうごう 【正しい行い、責任、行為】
5.正命:しょうみょう【正しい生活】
6.正精進:しょうしょうじん【正しい努力】
7.正念:しょうねん【正しい気遣い】
8.正定:しょうじょう【正しい精神統一、集注】
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偏らない心で『いい加減な人』になろう!
仏道修行者ではない一般の私たちにとっての「いい加減な人」とはどのような人になるのでしょう。ここからは、私の考える現代版の「いい加減な人」です。仏教でいう中道とは、シンプルに考えると「偏らない考え方と偏らない行動で、良い加減で生きる。」ということだと思います。
私たちの不幸やトラブルは、両極端の考え方と行動にあると思うのです。そこから「中道」という発想があるわけです。人間の心も同じです。神経質であらゆることに気遣いをしていては、病気になってしまいます。また逆にあまりに無頓着でも大きなミスや失敗をしてしまいます。
理想的には、必要と思われる事に対して十分な確認をしたら後は悩まないことです。これが中道です。ギターの玄もきつく張り過ぎては切れてしまいますが、許すぎてはいい音がでません。ちょうどよくチューニングしてこそ、いい音になるのです。偏らない心と偏らない行動で、丁度よい加減で生きる人が「いい加減な人」であり、幸福への近道なのです。
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