マツコ&有吉の怒り新党で話題の『共感性羞恥』という心理現象って何?
2017/04/11
マツコ&有吉の怒り新党で紹介された『共感性羞恥』という心理現象が、SNSで話題になっています。ドラマやバラエティーなどで恥をかくシーンがると見ていられなくなるという現象です。
この心理現象に共感する人は少数派で、およそ1割のひとが感じる心理現象です。実は筆者もその少数派で、不思議なこの気持ちにちゃんとした心理学用語名があったことに嬉しさを覚えました。そこで、この『共感性羞恥』について、自分なりの考察を紹介したいと思います。
スポンサーリンク
『共感性羞恥』とは
怒り新党の番組上では共感性羞恥を次のように説明しています。
「他人のミスを目の当たりにしたとき」
↓
自分が恥ずかしい思いをした時と
脳のおなじ部分が働き
「あたかも自分の失敗のように感じる」
共感性羞恥を感じるシチュエーションはだいたい次のようなシーンです。
1.映画、ドラマ、マンガなどで、恥をかかされているシーン
2.「モニタリング」に代表されるドッキリ番組で、騙されるシーン
3.バラエティー番組で人を馬鹿にして笑いをとるシーンなど
4.ドキュメンタリー番組
共感性羞恥は、客観的に見れないで自分を投影してしまう
共感性羞恥は、基本的には恥をかかされるシーンで感じるわけですが、共感性羞恥を感じない9割の人は、そのシーンを観客として外側から見ています。ですからおバカなシーンがあれば素直に笑うことができます。
しかし、共感性羞恥を感じる1割の人は、そのシーンを客観的に見ることができません。完全に自分を投影してしまうのです。そのため脳の中では、自分が恥をかいている状態を再現してしまうのです。これでは苦しくてとても見ていられないわけです。
「怒り新党」でマツコさんがドキュメンタリー番組が見られないと嘆いていましたが、これがまさに自己投影です。筆者の場合は、不思議とドッキリ番組やドキュメンタリー番組では自己投影せず、楽しく見られるのですが、ドラマや映画でのシーンがダメです。
なかでも特に「共感性羞恥」を強く感じたのは「Mr.ビーン」のコメディー映画です。最初はその激しいボケ加減に大笑いしましたが、途中からなんだか不快に感じるようになり、それ以降全く見ていません。
共感性羞恥には、隠れている劣等感がある
共感性羞恥を感じる裏側にはその人の劣等感があるのではないでしょうか。人間は過去の全ての記憶を潜在意識に保持しています。これらは普段は意識にはありませんが、何かのきっかけで意識に上ることがあります。
共感性羞恥の場合は、過去に恥をかいた体験や感情が、ドラマなどのシーンから呼び起されて劣等感を感じているのではないでしょうか。つまり、共感性羞恥のある人は、劣等感を多く抱えている可能性があります。
スポンサーリンク
『共感性羞恥』がある人はやさしくて可能性のかたまり!
共感性羞恥のある人は、劣等感が強いので自分に自信をあまり持てない人が多いのではないかと思います。いじめ問題でいえば、いじめる側ではく、いじめられる側になると思います。しかし、その反面でひとに対する共感力が高く、ひとが感じる苦しさや痛みを理解できる優しい人間です。
劣等感は人間が成長するための燃料のようなものです。芸能界や成功者の中には、昔いじめられた経験や劣等感をばねにして成り上がった人たちがたくさんいます。ですから共感性羞恥のある人は、恥じることではなく、自分のことを可能性の塊だと思って間違いないでしょう。
スポンサーリンク