頑張らない生き方をしょう!偏らない中道の人生を歩む方法
もし、あなたの毎日が辛い苦しい、疲れてしかたがないと感じているなら、それはあなたが頑張り過ぎているのかも知れません。頑張り過ぎている人は、頑張らなけらばいけないという強迫観念につき動されている可能性があります。
出来るだけ早い段階でセーブしていかないと、心身に影響して病気になりかねません。ストレスは病気の根本原因でもあることを自覚しましょう。
そこで今回は「頑張らない生き方」をテーマに記事を書いてみました。
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「頑張らない生き方」とは努力を放棄するということではない
そもそも「頑張る」という言葉にはネガティブな響きがあります。 たとえば好きなゲームを徹夜でやっても「頑張った」とはいいません。
それは勉強であっても同じで、英語が大好きな子供が英語の勉強を3時間やっても、本人の感覚では「頑張った」というよりも「楽しかった」となるはずです。
つまり、好きなことをやるときには「頑張った」という感覚はないのです。 頑張ったという感覚は、次のような条件の時に生まれるのです。
つらいけれど、やらなければいけない
楽しくないけど、やらなければいけない。
つまり、「頑張る」という生き方は、楽しくない辛い仕事を長時間続けるということなのです。だから、「頑張らない生き方」とは努力を放棄するということではありません。
筆者の考えは好きでもないこと、やりたくないことは出来るだけやらないということです。
頑張りすぎる生き方の弊害
頑張りすぎる人は真面目な人です。 辛くても苦しくても、とにかく与えられた仕事を全うしようとします。それは家族のためかも知れません。あるいは上司が怖くてしかたなく頑張っているのかもしれません。
そしてその頑張りすぎる背景には、未来に対する不安や何らかの恐れが動機となっています。いずれにせよ辛い仕事を頑張り過ぎると、心や体を蝕んでいきやがて健康を害することになります。
無理な頑張りによる長期のストレスは、うつ病や神経症などの精神的疾患はもちろんのこと、ガンや心臓病などの死に直結する病気のリスクも極めて高くします。
また、過度の仕事への傾倒はプライベートの時間を奪い、大切な家族とのコミュニケーションが希薄になり、家族崩壊や離婚のリスクも高まります。
頑張りすぎる人は「息を抜く」ことをおぼえましょう。 そして自分にとって一番大切なことは何なのか改めて考えてみましょう。
あなたが本当にやりたいこと、そしてあなたの健康と大切にしたい家族や友人のことに心をフォーカスすることです。
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理想は仏教が教える中道の生き方
さて、最後に「頑張らない生き方」について、哲学的に考察していきたいと思います。頑張らない生き方とは、先にお話ししたように努力を否定した生き方ではありません。
頑張り過ぎてはいけないと言うこと。恐れや不安につき動かれた行動ではいけないということです。十分な睡眠をとり、必要な休憩も挟んで興味をもって楽しんで仕事に向かうということです。
「頑張り過ぎない生き方」とは「偏らない、執着しない、行き過ぎない」生き方でもあると思います。そしてこの考え方はブッダが仏教で説いた根本思想である「中道」の生き方です。
恐れや不安などの感情(妄想)に支配されずに何事も偏らない、執着しない生き方に徹することこそが幸福への最短距離といえるでしょう。
<頑張り過ぎない、中道を生きる方法>
1.今の仕事がどうしても辛くて好きになれないなら、別の道を考える。
2.自分の好きなこと得意なことを真剣に見つける。
3.いつも冷静な自分でいる。
4.いつも自分にとって大切なものを見失わない(好きなこと、愛、友情など)
5.中道で生きる(偏らない、執着しない)
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