【初期仏教の性格判断基準】ブッダが示した苦しみを超える法
2017/04/11
前回の記事で、心理学で性格分類の主流になっているビッグファイブ理論を紹介しましたが、今回は初期仏教で示されている6つの性格タイプについて紹介します。初期仏教とは、上座仏教ともいわれているブッダの直接説かれた初期仏教です。
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初期仏教では6つの性格分類が示されている
仏教は3千年前にブッダによって説かれた生きるための哲学です。仏教徒は仏道修行をとうして自らの意識レベル(人格向上)を上げて最終的には仏を目指します。
仏とは悟りを達成した人ということです。悟りの状態は悩みも苦しみが全くなく、頭脳も明晰でいつでも幸福の状態でいられる。絶対的幸福境涯にある人です。
実際この悟りのレベルに到達した人は、仏だけではなく阿羅漢という境地に達した人も含まれます。ブッダの時代には500人もの阿羅漢が誕生したといわれてる説もあります。この阿羅漢に達した人は怒りや愚かさなどと無縁な尊い境地にいる方なので性格分類の対象になりません。
事実仏教においての6つの性格分類は阿羅漢まで達していない弟子たちを教育するためにその状態を把握するための性格判断であったようです。それではブッダの性格分類法を見ていきましょう。まずは下記が初期仏教からみる6つの性格分類です。
- 欲型: 欲を中心に生きている
- 怒り型:すぐ怒る人、怒りを主体に生きている人
- 無知型:あまり考えない、明晰でない、流される人
- 志向型:考えすぎるくらい考える、よく考えて生きる人
- 信仰型:人を信じやすい人、情報に踊らされる人
- 知恵型:理性で善悪の判断ができる、結論を導き出せる人
仏教ではこの6つの性格のミックスされたものが人の性格であるということです。そして人によって各要素の比重が変わってくるということなのです。注目してもらいたいのは、最初の3つである「欲型」「怒り型」「無知型」です、これは仏教では有名な「貪瞋痴」を指しています。
貪瞋痴(とん・じん・ち)とは人間を一番苦しめる心の三毒
貪瞋痴は「 貪り、怒り、愚か 」の状態をさします。人間にとって不幸を約束する心の状態です。具体的にその心の状態を下記に説明します。
<貪瞋痴の意味>
- 貪-【貪り】:際限のない欲望に支配された状態
- 瞋-【怒り】:自分の嫌いなヒト、モノに反発する感情
- 痴-【愚か】:無知である無明である、道理をわきまえない
この貪瞋痴(心の三毒)に支配されることが人間の苦しみの原因であると説いているのでです。
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貪瞋痴を超える方法
心の三毒である貪瞋痴の中で最も問題なのは、「 痴 」である無知や愚かさであるといいます。「 痴 」の心の状態は理性的でない状態、無知な状態、ボーっとしている状態ですのであらゆる問題を引き起こす誘因となってしまいます。
仕事なら重大なミスを犯したり、人間関係では配慮がかけたり、誤解を受けたりして人に恨みをかったり、怒りの感情に支配されたりします。そして貪瞋痴に支配されたままの人生では決して幸せになれないのです。
私たちは出家した僧侶ではないので、悟りを目指すのは行き過ぎというか、たぶん無理でしょう。しかし、三毒を離れて心やすらかに生きる方法はあります。日本テーラワーダ仏教教会のアルボムッレ・スマナサーラ長老はこのことについて、より「 理性的 」に生きることだといいます。
人間はだれでも理性は持ち合わせているので、この理性の声に耳を傾けて生きるということですね。理性的に生きろと言われてもなかなか難しいですよね。それなのでもう少し掘り下げて言うと、「 観察的 」に生きるということです。
イメージでいうと自分を見つめるもう一人の理性的自分がいて、その理性的な自分から客観的に自分をみているような感じです。この視座の変更ができれば理性的な判断がかなり簡単にできます。
例えば、動脈硬化が進んでいて、医師からお酒の制限を受けている人がいるとします。無類のお酒好きのために、奥さんの注意など聞く耳を持たずにお酒をたくさん飲もうとします。
「心の声はこう言います。体に悪いくらい俺だって知ってるさ! でも飲みたくて仕方ないんだ。今日1日くらい平気だろ!」自分の内側にある心の声は誘惑に勝てません。ここで視座を自分の外側に変更して自分の前にいるもう一人の理性的自分に移します(想像力で)。
視座が移ったこの人は、あわてて自分にいいます。「 やめとけよ! そんな生活してると心筋梗塞になって死んじゃうぞ! そのお腹なんとかならんのか!!」
今日は以上です。
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